1029日(土) よりユーロスペースほか全国順次公開

STORY

中にだしてもいいんだよ、と囁けば、マサルは大抵子供のようにウキウキし、
彼のその笑顔をみたいがためにアタシはセックスを続けていた

仁絵34歳。夫が海外出張中で日々あてどなく街をさまよっている。
マサル48歳。電車の運転士になる夢をあきらめた男。

ふたりは互いに家族のある身ながら逢瀬を重ねる。ある日マサルが仁絵の前から姿を消してしまい、彼女はほかの男たちと寝てみるが、心の空洞が埋まることはない。

ウルサクて、退屈な人間のつくった街で仁絵はマサルの影を求めてさすらう。
ひとりの女性の性の迷宮と罪の物語の行方は――。

INTRODUCTION

どうやらアタシはふわふわ漂うほうがあってるみたい

延江 浩の短編小説を鬼才サトウトシキが映画化
注目の新鋭・影山祐子とギタリストの原田喧太が織りなす、新たな愛の世界

『迷い猫』『今宵かぎりは…』『短篇集さりゆくもの もっとも小さい光』のサトウトシキが企画と監督を務めた最新作。他者との距離感が希薄になった時代に贈る、愛を探す人びとの愚かで滑稽でちいさな物語。延江浩の短篇小説集『7カラーズ』(水曜社刊)から2002年度リトルモアストリートノベル大賞佳作の「さすらいのボンボンキャンディ」を映画化。
主演は『花束みたいな恋をした』『激怒』など、注目作への出演が続く影山祐子。生きる実感を持てないままに、性にのめり込んでゆくでもなく、声高に叫ぶでもなく、それでも人間らしいつながりと愛を求めてさすらうヒロイン・仁絵を演じて、唯一無二の存在感と大胆な演技で初主演を鮮やかに飾る。相手役の原田喧太は父・原田芳雄を彷彿とさせる好演を披露。

PROFILE

影山祐子

影山祐子as 仁絵

日本映画学校卒業後、『トーキョービッチ,アイラブユー』(2013年/吉田光希監督)で劇場映画デビュー。学生時代の同期生である森田博之監督の『ラストラブレター』(2017年)で主演を飾る。主な出演作に『シミラーバットディファレント』(2013年/染谷将太監督)『花束みたいな恋をした』(2020年/土井裕泰監督)『まともじゃないのは君も一緒』(2020年/前田弘二監督)『短篇集さりゆくもの もっとも小さい光』(2021年/サトウトシキ監督)『ランブラーズ2』(2021年/山下敦弘監督)『はい、泳げません』(2022年/渡辺謙作監督)『激怒』(2022年/高橋ヨシキ監督)など。

COMMENT

この映画を望む人はいるだろうか。仁絵はどういう人なんだろう。ある年齢の女性としてこうあるべきという姿を求められるようになった時、その姿が自分からは離れていると感じた時、私は初めて仁絵と向き合うことができた。今やる意義のある役だと思った。誰も想像し得なかった主人公が誕生したと自負しています。

原田喧太

原田喧太as マサル

1970年生まれ。15歳でプロのギタリストとして活動開始。ソロ活動のかたわら、吉川晃司、及川光博、山下久美子、 ピンク・レディー、デーモン閣下、大黒摩季、黒夢、江口洋介ら多数のアーティストのライヴとレコーディングに参加。映画出演作に『CAT’S EYE』(1997年/林海象監督)『THE CODE 暗号』(2009年/林海象監督)『infinity 波の上の甲虫』(2001年/高橋巖監督)などがある。

COMMENT

原作者の延江浩氏からの熱いラヴコールもあり、今作品に参加させて貰いました。
撮影が始まったのは2019年4月。3年の月日を経てようやく公開できる事を嬉しく思っております。サトウ監督、撮影の小川氏それぞれの想いがこもった作品。特に、女優影山祐子の今作品に掛ける熱い想い・意気込みも目を見張るものがありました。その想いに僕も大分後押しされました。エンディングテーマまでがストーリーになっている素敵な作品です。
幕が閉まるまでお楽しみ下さい。

原田喧太

延江浩原作

1958年生まれ。TOKYO FM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。最新刊は「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)。

COMMENT

この作品は女性名「延江びあの」でリトルモアという文芸誌に応募したものです。僕は既に大手出版社の新人賞を獲得しデビューしていましたが、どうしても世に出したかった。だから、ある日の午後、麹町郵便局から原稿を投函したのです。 初めての受賞作『アタシはジュース』を映画化したのがサトウトシキ監督で、新たな新人賞入選作『さすらいのボンボンキャンディ』もサトウ監督ということなり、その奇遇に感動せざるを得ません。
 映画化にあたっては、お世話になった原田芳雄さんのご子息、喧太の出演と音楽を提案しました。彼の醸し出す品と孤高がこの物語に似合うと直観したのです。  サトウ監督は、よくもまぁ、こんな純文学を映像化してくれたものです。素晴らしかった。都市的に虚無で、外連味がなく、美しく純粋な一瞬の人生を描けたなと。尊敬します。
高純度でした。ありがとうございました。心よりの感謝です。

サトウトシキ監督

1961年生まれ。1989年、『獣 けだもの』で監督デビュー。『単純な話』(1992年)『ナオミ』(1993年)『タンデム』(1994年)『夢の後始末』(1997年)『迷い猫』(1998年)『今宵かぎりは…』(1999年)『青空』(2000年)など脚本家小林政広と組んだ一連の成人映画で異彩を放つ。日本映画大学で教鞭をとり後進の指導にあたりながらマイペースで作品を発表。近作に『モーニングセット、牛乳、春』(2013年)『名前のない女たち うそつき女』(2018年)『短篇集さりゆくもの もっとも小さい光』(2021年)など。

COMMENT

年号が[昭和]から[平成]になり暫く経って慣れた頃、渋谷の神泉駅近くアパート空室で1人の女性の他殺体が見つかる。殺害の容疑をかけられた外国人は後に冤罪と判明する。
延江浩さんの短編小説『さすらいのボンボンキャンデイ』はこの事件と同じ土地を舞台にし仁絵という名を持つ女性の焦燥や孤独、抵抗を描いています。何者かであることと何者でもないこと。そんなことに思いを巡らせる映像化の旅でした。映画に出演してくれた影山祐子さんと原田喧太さん。お二人がいなければ実現に至ることはなかった、そう思っています。
[平成]はまた新しく[令和]という年号に変わりました。渋谷で起こった事件は未だ解決のないままです。

TRAILER

COLUMN

10月公開の映画
『さすらいのボンボンキャンディ』
変なタイトルだ。
評判の良い映画は、往々にして、「評しやすい」から評され、結果として評判になっている場合が多い。
そのことは、見過ごしやすい。
要は、評しても、評者は傷付かずに済む程度のものほど、評者も評される方もその気になって盛り上がる。
よく見る光景である。
身内誉めという手心を加えた評も、自分の尺を持っていない評者ならば、予め言い訳になっている。
おぞましいと見るか、微笑ましいと見るか。
「評しやすい」映画は、つまりは気取った奴が気取ったままでいられる。
この『ボンボンキャンディ』。
評者は傷付かずにすまない部分がある。
本当の意味で当人たちの間では愛されている。
しかし「評」としては、傷付きたくない。
だから、格好を付けて、斜に構えた評が多くなるかもしれない。
私も躊躇したくなる。
だが、全面的に支持をする。
また、圧倒的に面白かったことを告白する。
たとえば主演賞を取るような或る女優は、自然に演じているようで、「自然を」演じている。
しかしこの映画の主演女優、影山祐子は、まさに「自然に」演じている。
もちろん、映画に自然などあり得ない。
その心地よさは、見てほしいとだけ記す。
「腐っても鯛」というが、サトウトシキの映画は、(関係者総出演といった)手近なところで間に合わせる隠れたみすぼらしさみたいなものがない。
小さくても共同体で仲良しごっこをしているような様子が見てとれるような微笑ましさよりも、本当のところ「外れ者同士」の微笑ましさを描いてくれている分だけ、サトウトシキは明快で厳しく、それゆえ清々しい。
原田喧太と影山祐子は、フラフラとルールから漏れている。
ミュージシャンが俳優をやる人のなかには有能な人がいる。予めの降り幅が大きい分だけ、余裕を感じさせる。
それは、若くして発見されるよりも幸せな出会いに感じる。
観客にとっても、またそうだ。
『二十歳の原点』の高野悦子のような唐突過ぎる死は、遣り切れないものがある。手に火を翳すような辛さがある。
あの頃の自殺者は数においては今より少ない。だから目立ったのかもしれない。
今なら、高野悦子のようなフラフラしていることへの罪悪感を持つ者は、当時よりも多いのかもしれない。
なのに隠れてしまう。
目立たされるのは、都合の良い女ばかり。
たとえば石井隆の劇画(および映画)に、名美というミューズがいる。男から酷い目に遭うも、超越したところで生き抜き、出し抜き、男の何かを挫き、それでいて挫かれた男をある意味「生かす」。
だけど、私は本当のところ、あまり好きではない。男の願望が混じっていて、それは、私のそれでもあり、自己嫌悪を多分に含めての「嫌い」である。
いや、ああいう女性の存在をミューズなどと崇めても、男の側の罪は消えない。
その名美と比較して、ボンボンキャンディの影山祐子は、より対等でより正々堂々と対峙する存在だと感じる。
役名は仁絵という。
三四歳だ。
シロナガスクジラで涙する、ある部分で社会参加している悲しみ。
燃えるものがないから、手を火傷させる。
この先も、続編をも、見たいな、と思う。
コロナがやって来る前に制作が始まった作品という。
普遍は少々の時代を凌駕する。
アンナ・カリーナとかジーン・セバーグとか、色々いるけど、影山祐子も間違いなく、サトウトシキの名美であり、ミューズである。
この一本があれば死んでもいい。
女優なら、そう思えるだけの作品ではなかろうか。
観客の一人としてさえ、今の私はそう思う。
映画は自由で良いなあ。
そう思う。
観てほしい。
出会うための映画だ。
観終わると、頭の中に歌が流れる。
私の場合は「あれ」だ。
少なくともキャロル・キングではない。
谷岡雅樹(ノンフィクション作家)

COMMENT

どうなりたいのか。どこへ行くのか。未知の自分へとさすらうひとりの女性を全身的に表現する。どんな大女優でも簡単にはめぐりあえないそのチャンスに、影山祐子が挑む。アラサーをすぎて新しい出会いからの遍歴の夢に半ばヤケクソ気味に飛び込むヒロイン仁絵。
その不安と焦燥のなかを、遅咲きというべき影山祐子の「演じたい」欲望が走り抜ける。
その鮮度ある魅力を、追跡する監督サトウトシキは作品の生命にしている。
福間健二(詩人・映画監督)

THEATER

東 京
ユーロスペース10月29日(土) ~
愛知
刈谷日劇公開日調整中
京都
京都みなみ会館公開日調整中
大阪
第七藝術劇場公開日調整中
福岡
KBCシネマ公開日調整中